千の夜と一つ夜 (0)
アキバに言わせると、僕は非常に恵まれた環境にあるらしい。
アキバは本名を浅草橋能登守成益という、僕の珍妙な名前の友人だ。
浅草橋とも呼びづらいし、能登守や成増と言うのも言いづらかったので、はじめクラスの誰が言うともなくノトナリと呼ばれるようになった。
苗字と並べてみると、「浅草橋ノトナリ」……そして、あいつ自身の趣味から秋葉原の略称「アキバ」が彼を呼ぶときの呼称となった。
もっとも半月ほどあいつと一緒のクラスにいたならば、名前どうこうとは関係なくアキバがあいつの あだ名になったであろうことも想像に難くない。
アキバとはそういうやつだった。
そんなやつの言う、僕の恵まれた環境とはこういう環境だ。
僕の両親はとある大学でその筋では著名らしい考古学の教授の下で助手として働いている。
二人ともその教授の研究にあこがれ、高校までは地元の遺跡の発掘の手伝いを土日祝祭日行きまくっていた様な人たちで、一年のほとんどをアフリカ、中東、南米といったところで発掘三昧の日々を送っている。
小さな頃はホームヘルパーの近江さんがいてくれたお陰で何不自由なく過ごせたが、僕たちが高校に上がったのを機に、自分たちのことは自分でしろというありがたい教育方針のため、僕たちだけで家のことをやることになった。
とりあえず生活費の仕送りはあるので、無責任な親の放任主義とまでは行かないものの、学校に行きつつ家のことをするのはなかなかに難しい。
その旨アフリカの空の元にいる父に連絡したところ、父からじゃあおまえお学校の近くにマンションを持っているから、高校に行っている間はそっちに住めというありがたい言葉をいただいた。
現在は一軒家からその2DKのマンションに引っ越して生活中だ。
その連絡の後すぐにそれまで住んでいた家を、すぐに人に貸してしまったため、出てこざるを得なかったのである。
あいつからすれば、親から監視されない生活と言うだけでかなり魅力的なんだろうな、とそのときは言ったが、彼からするとそれは二番目の理由だからだそうだ。
あいつが僕のことをもっとも羨んでいる一番の理由は、僕に妹がいるからだそうだ。
妹がいることがそんなに羨ましがられるなんて、僕としては信じられないことだ。
確かにあいつは傍目から見れば可愛く見えるのかもしれないけど、人目がないからと言って風呂からはそのまま上がって冷蔵庫から牛乳を取り出してパックごと飲むようなやつだし、普段は普段で僕のワイシャツだけ羽織ってその辺りにごろごろしてるし、しまいには不登校の引きこもりときている。
そんなことを言ったら、本気で羨ましがってるというかむしろ殺意に似たものを感じたけど……よく分からん。
「なんで、そんな恵まれた環境でそんな趣味になるんだかなあ……俺なら間違いなく千夜(ちや)ちゃんと何とかなっちゃうけどな」
アキバが心底残念そうな表情で僕を見ながら言う。
「妹だぞ、妹」
「いや、そういう設定だったら実は義理の妹!!……ってオチに決まってるだろ?えろげー的にさ」
「そりゃどこの世界の話だよ。現実の話だ」
「いや、ファンタジーだね」
「なんで」
「俺の目の前に、このクラスで……いや、少なくともこの学校で一番セーラー服が似合うやつがいるんだ。間違いないね!」
アキバの目が、人間は綺麗なモノと汚いモノを同時に見るとこんな目になるんだという実に不思議な目で僕を見た。
「……もしかしておまえってやっぱり!」
「何度も言うけどな、僕は男なんかに興味ないぞ。この服を着ているのは、これが僕に似合うからだ」
僕はちゃんと年相応に女の子に興味を持っている健全な男子高校生だ……確かに、服装とかは普通じゃないかもしれないけど。
でもしょうがないじゃないか、似合うんだから。
別に性同一性障害とかそういうのでもないんだけど、服だってどうせ着られるなら似合う人に着られたいと思ってるんじゃないかな、多分。
そんなことを入学前にあった説明会でもらしたところ、たまたまそれを聞いた僕たちの採寸担当だった先生があちこち働きかけてくれたようで、そのお陰で僕はセーラー服を着て登校することができるようになった。
実に感動的な話だ。
ちなみに、その採寸担当は今僕たちの担任だったりするけど。
「まあ、確かに似合ってはいるが……」
「なら問題ないだろ?」
不承不承といった感じではあるけどなんとか友人の同意を得たので、にっこりと笑って頭をちょこっとかしげる。
自慢の腰まである栗毛色のサラサラヘアがふわりと動く。
「……こ、これで勝ったと思うなよ〜!!」
アキバは急に踵を返して教室を駆けだしていった……。
何に勝ったのかはよくわかんないけど、とりあえず僕のスタイルについては認めさせたと理解しておくことにした。
兄ぃに言わせると、ボクはとても変な子らしい。
十時に起床。
兄ぃはすでに学校に行った後。
寝る前にベッドと同じくらいの高さまで積んだ雑誌の上に置いておいた起動しっぱなしのノートパソコンを枕元に取り寄せる。
常駐スレは……眠る前に見た辺りからそれほど進んでいないようだ。
二年前にふとしたことに気づいてから、ボクはいわゆる引きこもりになった。
特に学校に不満があったわけでも友達付き合いに疲れたわけでもない。
ある日、自分がこの世界で異端と呼ばれるモノだと気づいたとき、自分のことをこの世界が拒絶すると知ったとき。
いつもつまらないことを楽しそうに話していた友達にも気付かれてはいけない。
いつもなんでもない会話をしていた商店街の人たちにも気付かれてはいけない。
だからボクは世界を拒絶することにした。
小さな頃には赦されたことも、大きくなってからは赦されない。
世界を捨てて暫くして、ボクはネットというもう一つの世界を知った。
この世界ではボクはボクでなくなる。
そこでボクは『千夜』という人間ではなく『無限回廊』という名の存在になる。
『無限回廊』はアンダーグランドを彷徨くときの名前。
ボクが知ったもう一つの世界での名前の一つ。
千の名前を持つ異端、それがボクだ。
「たまにまじめな相談を書いても、なかなかまともな答えって返ってこないわね……」
ため息を吐きながらブラウザーの中の文字列をスクロールさせていく。
そう、いつものボクなら冷やかし混じりのレスを書くだろう内容。
ボクなりの答えはある、でも訊きたくなる、それを問い続けずにはいられない。
千の名前を駆使してまで答えがほしい。
そんな無様なモノ……それがボクだ。
これは、そんな兄妹の物語。