バッドエンド後日譚 (1)

第1話 蕎麦とイチゴサンデーと新しい関係 (1)


春。
ずっと真琴が待ち望んでいて、ずっと続いて欲しいと望んだ春。
ものみの丘もすっかり緑に包まれ、そこで俺は空を眺めている。
…真琴、春だぞ。
でも、真琴は、もう、いない。


「祐一さん」


声がした。
声の方向に首を動かすと、そこには美汐がいた。
彼女の呼び方を「天野」から「美汐」と変えてから、もう一月が経つ。
大切なものを失ったという共通の傷が、俺と美汐の距離をほんのちょっとだけ縮めた結果だ。


「すっかり春ですね」
「ああ」


真琴が俺の腕の中で消えたあの日から、ここに来るのは俺の日課になっていた。
もしかしたら、帰ってくるかもしれない。
何も無かったかのように、あいつが笑って帰ってくるかもしれない。
そんな可能性など無いのだと理解しているつもりなのだが、それでも来てしまう。
だって、帰ってきたときにそこに誰もいなかったら……きっとあいつは泣き出してしまうだろう。
あいつ、ものすごく淋しがりやだから。
「おなか、すきませんか?」
そういえば、今日は始業式だったから何も食べないでそのままここにきたような気がする。
言われないうちは気づかなかったが、言われてしまうと結構……。

「いいお店を知っています。行きませんか?」




「……」
「どうしましたか?祐一さん」


いや、俺のほうが訊きたい。
普通、年頃の女の子が「いいお店」と言ったら喫茶店とか甘味処といったところだろう?
むしろ、女の子だらけの甘味処で漢は俺ただ一人…といった悲惨な状況を覚悟さえした、にもかかわらず。


蕎麦屋ってのはどう言うことだ?」
「?」


確かに美汐は普通の女の子…女子高生というのとは違うな…とは思う。
炭酸飲料なんかよりも、茶碗でお茶を飲んでいる方がよっぽど似合っている…と思う。
しかし、それにしても、だ。


「…何か失礼なことを考えてませんか?」


なかなかに鋭い。
と言うか、俺の周りにはそういった事に鋭いやつが多すぎないか?
秋子さんを筆頭に、香里といい佐祐理さんといい…。
これに美汐まで加わるのかよ。


「いや、そんなことはないぞ」
「…本当ですか?」
「本当だ。ケッツァルコアトルの神に誓って」
「……?」
「ああ、古代アステカの神様だそうだ。昨日見てた参考書に書いてあった」
「…そうですか。そういえば今年は受験でしたね」


真琴がいなくなってから暫くして、香里から栞が亡くなったことを聞いた。
あの時期の俺は何もやる事がなく、仕方なしに勉強をしていた。
特に受験がどうとか考えていた訳ではなかった。
あの頃にやったことがなぜ頭に残っているのか、今となっては不思議だ。
逆に、今やっているときよりも頭によく残っている。
そのお陰か2年の学年末では、香里に匹敵する成績を取ってしまった。
名雪には恨みがましい目で見られるわ、香里にはカンニングでもしたのかと疑惑の目を向けられ、北川にはカンニングするなら何で俺にも教えてくれないんだという非難めいた目を向けられた。
まぁその結果、俺の進路もなんとなくだが決めろことができたわけだが…。


「美汐も来年はそうだろ」
「祐一さんが一浪してくれれば一緒ですね」
「……」
「冗談です」
「……」
「祐一さんはどこを受けるのですか?」
「…どこってのはまだ決めてないんだけど…」
「?」
「医者になりたいんだ」
「お医者さん…ですか」
「笑わない?」
「ええ、何で笑わないといけないんですか?」
「だって…」
「あんなことがあったんです、そう思うでしょう」
「でも、何でそんな事訊くんだ?」
「意地悪です。祐一さんが行く所を聞いておかないと、これからどれくらい勉強しなくちゃいけないか分からないじゃないですか」


言ってから美汐は顔を赤く染めて、顔をうつむかせた。
隣の席のサラリーマン風の男の視線がやけに痛かった。




「毎度のことながらよく入るわねぇ………太るわよ」
「うぅ〜、香里、意地悪だよ」
「忠告よ。一気に太るとダイエットするの大変なんだから」


3杯目のイチゴサンデーとにらめっこし始めた親友を見つめる。
ホントこの子がいてくれたお陰だろう。
あたしが今、ここにこうしていられるのは。


「大丈夫だもん。うち、太りにくい体質だから」
「……確かに。秋子さんスタイル良いもんねぇ」


名雪は、えへへと笑って3杯目のイチゴサンデーを食べ始めた。
そもそも秋子さんって何歳なんだろう……。
見た目、名雪の母親とは到底思えないぐらい若造りだ。
そう、名雪の姉と言われてもあまり違和感がない。


「……」
「どうしたのよ、名雪。突然黙って」
「ん〜ん、なんでもないよ」


分かってる、名雪
栞のことであれだけ落ち込んでたあたしのこと、立ち直らせてくれたのはあなただってこと。
本当に、いい友達を持ったと思う。
それが故、だろうか。
彼女に罪悪感を感じるのは。


「でもいいの?本当に香里のおごりで……」
「ん、話を聞いて欲しかったから」
「で、その話って?」


そう、さっきから何度話そうとしただろう。
でも、できなかった。
この話をしたら、名雪はあたしの親友でいてくれるだろうか。
もうこれ以上、何も失いたくないから。
大切なものを失うのに耐えられないから。
でも……。


「ん、実はね……相沢君のことだけど」
「祐一の事?」
「そう。……実はね、名雪
「うん」


名雪の声は、何かを覚悟したような落ち着いた声だった。
その声を聞いてたあたしは……何かから逃げたいような、そんな感じを覚えた。


「あたし……相沢君のこと、好き…………なのかもしれない」
「……」
「栞のことも……あるんだと思う。でも」
「……」
「あたし……」
「香里」
「ん?」
「……いいんじゃないかな。人が人を好きになるのは止めれないと思うよ。それより、私、香里に相談されたことの方がうれしいかな」
名雪……」
「でも、親友だよね」
「いいの?……名雪
「当たり前だよ。親友で、ライバル……だね」
「ん」


あたしは……泣いた。
栞を失って以来だと思う。
でも、あの時と違って悲しくはなかったから。
あたしは、今、世界で一番幸せなんじゃないかと思った。




「あれ?祐一ぃ」


名雪が手をぶんぶん振った。
名雪の視線の先には、相沢君と確か天野さん。
二人は古い造りの蕎麦屋から出てきたところのようだ。
二人が出てきた蕎麦屋はこの辺ではちょっと知られた店で、通人の隠れ家みたいなところらしい。


「あれ、名雪か。香里と一緒……と言うことは百花屋か?」
「うん、そうだよ。あ、天野さんこんにちは」
「こんにちは」


香里と一緒だったのか。
名雪が香里に付いていてくれていると思い安堵を覚えた。
名雪が付いていれば、香里も大丈夫だろうと。
しかし、何故だろう。
香里が俺たちのほうを見ようとしないは。


先ほどの会話を思い出し、あたしは顔を背けた。
恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。
なんで名雪はあんな会話の後に、普通に相沢君と接することができるんだろう。


「香里どうしたんだ?」
「香里?」


相沢君と名雪があたしの方を見る。
気付くとあたしは駆け出していた。
相沢君のいない方に。
ただ、ひたすらに。