動機

原因→結果

これを正しく証明できれば正しく「科学」できる流れだとは思いますが、どこかで恣意が加われば当然捏造とか偽科学の類になる可能性が高くなりますし、仮定がトンデモなら同じく結論もトンデモになっちゃう訳です


以上を踏まえて
何か事件が起こると動機を必死に調べたり、それが特異なものだったりすると物凄い勢いで報道されたりするじゃないですか
あれってどうかな、と常々思ってたりするんですがどうなんでしょうね?


例えば「怨恨」による事件
これは分かりやすいですよね、当事者的にも第三者的にも
「逆恨み」っていう被害者的に分かりにくいのとかはありますが


動機についての捜査は、日本ではかなり重視して行われていたりするんですが、正直意味あるのかなと思ったり思わなかったりもする訳です
動機が分かったからといって、将来的に予防する効果が期待できる訳でもないし(発表されている動機は、怨恨とか金欲しさの犯行が多いように思われます)

強いていえば、理解できる動機の方が第三者的に安心できるってのはあるかもしれません
「太陽が黄色かったから殺しちゃいました」とか言われたら、他にもそんなやつがいたら……とか怖い考えになっちゃいますからね

いろんな意味で書き途中だったりするけど終わっちゃえ